東京オリンピックでは捕手として金メダルに貢献した甲斐拓也(かい たくや)さん。
日本の野球界に無くてはならない存在ですが、高校までは目立った活躍は見られませんでした。
今回は甲斐拓也さんの学歴や甲子園出場の有無について調査しました。
甲斐拓也のプロフィール
引用元:Twitter
甲斐拓也のプロフィール詳細
引用元:西日本スポーツ
名前(活動名):甲斐拓也(かい たくや)
本名:甲斐拓也
生年月日:1992年11月5日
年齢:30歳
身長:170cm
出身地:大分県大分市
出身高校:楊志館(ようしかん)高校
出身中学校:大分市立稙田南中学校
出身小学校:東稙田小学校
兄弟構成:兄1人
結婚の有無:有
子供:2人
職業:プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス所属)
恩師がプロ野球界へ導く
画像:宮地監督
野球部の宮地監督がホークスの福山竜太郎スカウトに紹介したことにより、プロ野球の道へ進むことになります。
高校では特に目立った成績を納めることができなかった甲斐拓也さん。
高校3年生の7月には所属していた野球部を引退し、進路に悩んでいました。
当時プロになる選択肢はなく、大学進学か就職かの2択だけだったそうです。
「進路にプロという選択肢なんてあるわけがなかった。それよりも、野球を続けるか、続けないかの選択でした」
引用元:パ・リーグ.com
そんな甲斐さんを見かねた野球部の宮地監督が福山竜太郎スカウトに連絡し、甲斐さんはテストを兼ねた視察を受けることに。
そこではスローイングなどが高く評価されました。
2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから育成6位指名を受け入団しました。
インタビューでも恩師に感謝する言葉が発せられます。
「僕なんて絶対にノーマークのノーマークでしたよ。宮地先生の力があったから今の僕がいる。宮地先生がいなかったら、絶対に今の僕はいません」と振り返る甲斐。
引用元:パ・リーグ.com
宮地監督も福岡竜太郎スカウトも甲斐さんに光るものを感じたのでしょうね。
それ以上に甲斐さん本人の努力によって現在の地位まで上り詰めたと考えられます。
甲斐拓也の学歴!出身中学・高校は大分県のどこ?
引用元:Twitter
甲斐拓也の中学校は大分市立稙田南(わさだみなみ)中学校
甲斐拓也さんは大分県大分市大字寒田に位置する大分市立稙田南中学校を卒業されています。
小中学生の時は、中学校の近くにある「小原児童遊園」で友達と野球をして遊んでいたことが多かったそうです。
この頃から野球選手になりたいと考えていたと話しています。
甲斐拓也の高校は楊志館(ようしかん)高等学校
引用元:ウィキペディア
甲斐拓也さんは大分市の私立楊志館高等学校を卒業されました。
大分市桜ケ丘に位置しています。
甲斐さんには3歳上の兄がおり、お兄さんもこの高校を卒業されています。
お兄さんは夏の甲子園全国大会に出場し、ベスト8を果たした野球部のエースでした。
そんなお兄さんの活躍を見て甲斐さんも同じ高校への入学を決めたそうです。
甲斐拓也は甲子園に出場したことが無かった!
地方大会は初戦で敗退
引用元:Twitter
甲斐拓也さんが1年生と3年生の時は夏の地方大会では1回戦で敗退し、甲子園へは出場できませんでした。
甲斐さんが高校3年生の夏の大会は別府羽室台高校に1ー4で敗戦し、大分県大会1回戦で甲子園出場の夢が絶たれました。
最高成績はベスト8
引用元:Full-Count
高校3年間での最高成績は2年生の時のベスト8です。
この大会では準々決勝で明豊高校と対戦し、0-2の完封負けとなってしまいました。
現在は同じ福岡ソフトバンクホークスに所属する今宮健太選手との対戦でした。
楊志館高校の唯一の甲子園出場は甲斐さんのお兄さんの代のみのようです。
その年は県大会ノーシードで19戦無敗で甲子園ベスト8進出の快挙を成し遂げました。
「伝説の夏」とも称されたそうです。
兄の背中を追って甲子園を目指した甲斐さんはさぞかし悔しい思いをしたのでしょうね。