自由民主党の衆議院議員で内閣官房副長官として岸田政権を支えている、木原誠二(きはら せいじ)さん。
そんな木原誠二さんの生い立ちや経歴、さらに東大卒ということでどんな学歴なのか気になる人が多いのではないでしょうか?
そこで今回は、木原誠二さんのプロフィールや経歴、学歴についてをご紹介します。
木原誠二のプロフィール&生い立ち
木原誠二のプロフィール
生年月日:1970年6月8日
年齢:53歳
職業:政治家
出身地:東京都渋谷区
木原誠二さんは1970年6月8日生まれ。
東京都渋谷区に誕生しました。
そんな木原誠二さん自由民主党所属の衆議院議員で、東京第20区で活動しています。
また、これまでに様々な要職を歴任しているほか、2021年からは内閣官房副長官として活躍中です。
・外務副大臣
・自由民主党情報調査局長
・内閣官房副長官
・内閣総理大臣補佐官 など
木原誠二の生い立ち
続いて木原誠二さんの生い立ちをご紹介します。
木原誠二さんは1970年6月8日、東京都渋谷区に誕生しました。
父親は現ソフトバンクの日本国際通信の重役を務め、高祖父は銀行の頭取を務めているなど、華麗なる一族で育ちました。
父親の仕事の関係で生後9か月から5歳まではシカゴに、そして8歳の時にオランダのアムステルダムで生活したといいます。
サラリーマンの父の仕事の関係で、9ヶ月~5歳のときにシカゴ、8歳のときにアムステルダムで生活をしました。
引用元:自由民主党・衆議院議員 木原誠二
アムステルダムでは各地の教会巡りが楽しみだったそうで、大人になってからも教会巡りは続いているそうです。
そしてアムステルダムに移住して7か月後、日本に帰国。
小学校では野球を始め、中学と高校はテニスとピアノに熱中しました。
さらに大学に進学してからも木原誠二さんのスポーツ好きは続いたそうで、法学部に入学したもののテニスに没頭する大学生活を送っていたと明かしています。
法学部に入ったというよりも、中高と続けてきたテニスにさらに没頭する大学生活となりました。
何しろ、渋谷のセンター街も膝や裾に穴のあいたテニスウェアで歩いていました。
朝7時~8時半の練習、午後3時~6時までの午後の練習、そして昼の自由練習。練習の合間は、京都ラーメンの名店、天下一品を食べる生活でした。
引用元:自由民主党・衆議院議員 木原誠二

木原誠二のWiki経歴
木原誠二の経歴まとめ
次に木原誠二さんの経歴をご紹介します。
2005年:衆議院議員初当選
2009年:衆議院議員落選
2013年:外務大臣政務官
2015年:外務副大臣を務める
2017年:政務調査会副会長兼事務局長
2020年:衆議院内閣委員会委員長
2021年:内閣官房副長官(政務)・内閣総理大臣補佐官
新宿区立戸塚第二小学校に転入し、武蔵中学校・高等学校へ進学。
そして東京大学法学部へと進み、卒業後の1993年に財務省へ入省します。
1999年から2001年の間、英国大蔵相に日本人で初の出向をし、サッチャー元首相と出会ったことで政治を志すように。
そして2005年の衆議院議員選挙に初当選するも、2009年には落選しました。
2009年から2012年、落選中の3年間は民間企業でサラリーマンとして働きながら、地元で政治活動を継続。
そして2012年12月に衆議院議員に復帰し、以降も当選を続けています。
2013年から2014年には外務大臣政務官、2015年から2016年には外務副大臣に就任。
2017年から2020年には、政務長会副会長兼事務局長として政府与党の政策立案のとりまとめを担うようになりました。
また、2020年10月からは衆議院内閣委員会委員長に、2021年10月からは内閣官房副長官、内閣総理大臣補佐官に就任。
2022年8月からは、第二次岸田改造内閣の内閣官房副長官として留任しています。
木原誠二さんは、岸田内閣において重要なポジションを担っていると言えるでしょう。
木原誠二の学歴まとめ
出身大学:東京大学法学部
木原誠二さんの出身大学は、東京大学法学部(偏差値:67.5)です。
東京大学は東京都文京区本郷7丁目にある大学で、法学部では基礎法学の分野が充実していることが特徴的だと言われています。
出身中学・高校:武蔵高等学校中学校
木原誠二さんの出身中学と高校は、武蔵高等学校中学校(偏差値:74)です。
武蔵高等学校中学校は東京都練馬区豊玉上一丁目にある中高一貫校で、私立の男子中学校・高等学校として知られています。
出身小学校:新宿区立戸塚第二小学校
木原誠二さんの出身小学校は、新宿区立戸塚第二小学校です。
新宿区立戸塚第二小学校は東京都新宿区高田馬場一丁目にある公立小学校で、幼稚園と学童クラブが併設した学校となっています。